ジャック・マイヨールと言えば、わざわざ説明するまでもなく映画「グラン・ブルー」のモデルにもなったフリーダイビングの世界記録保持者(一時)なのだが、同時に複数の著作と「ホモ・デルフィナス(Homo Delphinus)」という用語によって、人類と海との深いレベルでの共生を提唱する人間でもあった。
単に従来の宗教の表層が気にくわないだけで目指すところにはほぼ大差が無さそうな、いわゆる「スピリチュアル」や、あるいは「エコロジー」のような、解釈の仕方によってはそもそも最初から存在しない、あるいは別の様相を見せうるかもしれない状況をクライシスと偽り、さもこれから起きうる事実として誇大に宣伝して「小金持ち」からお金と労力を搾り取ろうとする世間の風潮に、とてつもない違和感を感じる僕のような万年低所得者層の人間からすれば、フリーダイビングのような、LSDなどの薬物とは無縁の徹頭徹尾プリミティブな感触を基盤にしている彼のような人間は、時としてアンドレイ・タルコフスキーの映画「ストーカー」の主人公ストーカーその人の海洋版であるのかようにも感じられて、信頼に値する人間にも思えてくるのだが、例によって事実はそれとは違うわけで、ネット上で公開されている新潟大学人文学部教授 三浦淳氏の論考「鯨イルカ・イデオロギーを考える(Ⅲ) ― ジャック・マイヨールの場合」によると、本人はもっと自己中心的で享楽的な人間であったらしい。
実際のジャックは、自分の欲望に忠実で、はっきり物を言い、積極的で、自慢好きで、女性好きで、ときにあつかましく、自己中心的だった。映画のジャックは無口で、物静かで、謙虚で、女性に対して臆病といえるほど恥ずかしがり屋だった。実際のジャックと映画のジャックの類似点は結局、ある意味で浮世離れしているところ、イルカと会話ができるところだけだ。
また同時に彼は、そうした本人像と相当に異なった映画の主人公像が勝手に一人歩きし、自分の生活を蝕んでいくことも、相当に苦々しく思っていたようだ。なぜなら彼にはある種の遠大な「野望」があったからである。詳細はリンク先のテキストに詳しいが、これによると彼は、かねてから素潜りとイルカに対して注いでいたのと同じぐらいの愛情と執着を、同時に海底の古代遺跡に対しても持ち続け、世界中のそれと思しき海域で何度もダイビングを試み、そうした遺跡の痕跡を探し回っていたのだという。というのも彼は、いわゆる考古学的興味ではなくて、かつて人類は古代においては「水陸両生類」であり、現在の人類とはあらゆる点で根本的に異なっていた、と本気で考えていたらしいのである。 こうした事実から僕なりに推測すると、彼は、彼が提唱していた「ホモ・デルフィナス」の概念を、単なる用語のレベルからさらに一歩推し進めるために、その社会モデルの糸口を海底の古代遺跡に求めていたのだろうと思われる。しかし、ビジョンは非常にユニークなものの、いわゆる海底遺跡などというものが彼の思ったようなものであるはずも無いわけで、そのため晩年にかけて孤独と無力感を深めていったのではないかと思われる。
ジャックがはっきり精神崩壊のきざしを見せたのは2000年2月のことだと兄は述べている。世界的な有名人として多忙な毎日を送りながらも、他方で大きな企画が挫折するなどの体験もあり、兄に向かって「何にも興味を持てない、自殺したい」などと口走るようになっていく。相変わらず女性関係は華やかでありマスコミへの露出度も高かったが、やがて鬱病の徴候があらわれ、一人になることを怖がるようになる。自殺への意志を何度も口にする。そんな状態が続いた後、2001年12月23日、ジャック・マイヨールは首吊り自殺により世を去った。享年74歳。
ドキュメンタリー映画「ブルーシンフォニー ジャック・マイヨールの愛した海 唐津」は、彼マイヨールが、かつて母とともに泳ぎそして産まれて初めてイルカと出会った地であるのと同時に、晩年にまるでその幼き日の母との思い出を探し求めるかのように彷徨い過ごした地でもある、佐賀県は唐津の風景を交えて、主に彼と実際に交流のあった地元の人々に対するインタビューで構成されたドキュメンタリーだ。実はたまたま別の映画の上映館情報をネットで探していて偶然目に付いたので、あわてて初日に見に行ったのだが、これが大学院の学生が制作したというわりにはかなり堂に入った作品で、構成も練られており、一般の鑑賞に十分に耐えうる作品になっているのに感心した。
ドキュメンタリーとは言えこの作品は、彼の自死に至までの精神的な崩落のプロセスを過去にまでさかのぼって暴き立てて、詳細に分析したり描出したりはしない。孤独ではあったけれども基本的には女性好きで、そして表面的には常に朗らかだった彼に対する唐津の人々の印象にマイナスの面はほぼ全く無いようで、いずれも彼の自死に対して異口同音に驚きを口にしている。ナレーションも突き放した印象を受ける乾いたトーンで統一されていて、こういったアプローチはむしろ非常にアダルトな印象を受ける。
見終わって少々残念だったのは、実際にマイヨール本人を撮影した非公開映像の類があまり多くはないということ。特にイルカと彼とのやり取りを撮影した映像の類はほとんど無いと言っていいし、唐津の海へのフリーダイビングの映像さえも無い。彼に関する映像のほとんどは、ホームビデオで撮影された船上での光景や、地上でのごく平凡なパーティーでの光景などであったりしていて、それ以外の映像は主に生前交流のあった唐津在住の人々へのインタビューと、思い入れたっぷりの唐津の光景や風俗の映像によって構成されている。ただ、パーティーの席上でほろ酔い加減で披露するマイヨールのピアノの腕前は素人の域を超えているようで、それだけでも驚きだし、インタビューした各人からはマイヨールの人柄をしのばせる、時として微笑ましいいくつものエピソードが語られ、それだけでも十分に興味深い。
もちろん本職のドキュメンタリー監督がそれなりの予算とスタッフを投じて作った作品とは違い、おぼつかない部分も無くはない。たとえばごくわずかに挿入されるイルカが泳ぐ映像は、実際に撮影したものではなくフリー素材の動画か何かのフッテージを流用しただけだろうし(実際に僕は以前に、この流用されている映像を別の何かの番組で見たことがある)、舌足らずのナレーションは、もうちょっと何とかならなかったかという気がしないでもない。しかしイルカの動画は流用のされ方が非常に周到かつ巧妙だし、ナレーションは聞き慣れればそれなりに味わい深い部分もあるので、ほとんどの人間にとっては問題とは感じれらないのではないだろうか。
唐津の映像がやや多すぎる嫌いはある(それも残念ながら飛び抜けて美しい映像が納められているわけでもない)が、これももともとは、この映画の企画が唐津市の委託を受けて制作されたからで、そう考えるとむしろ地方都市の広報映像としての要素を踏まえつつも、それを脱して1つの作品として完成させているその大胆さとバランス感覚がきわどく思えてくる。すでにシネマート六本木のレイトショーでの上映は終わっているが、資料的価値も十分にあるように思われるので、DVDやブルーレイなどで一般にも広く販売されるべきではないかと思った。もしジャック・マイヨールという、複雑で陰翳深い稀代の人物に興味があって、機会があるのであれば一見をお勧めしたい。