マイケル・ジャクソンがあっけなく逝ってしまったと思ったら、今度はピナ・バウシュまでもが逝ってしまったらしい。
【ベルリン=金井和之】ドイツの著名な振付家兼演出家のピナ・バウシュさんが6月30日、ドイツ西部ブッパタール市内の病院でがんのため死去した。68歳だった。バウシュさんが所属するブッパタール舞踊団が明らかにした。
ピナ・バウシュの存在を知ったのは、本職の舞台芸術を通じてではなく、フェリーニの映画「そして船は行く」に盲目の皇女役で出演していたのを見たときだ。映画の方はともかくとして、そのとき以来、なぜか彼女の存在が気になっていたのだが、肝心の「ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団」の舞台を見る機会にはなかなか恵まれなかった。もともと僕自身が舞台表現にはあまり興味がないため、その方面の情報を得るチャネルを開拓していなかったのが主たる理由で、そのせいで後になって埼玉などで来日公演があったことを知って地団駄を踏んだりもしたのだが、たまたま偶然、いろいろな折り合いがついて4年前の来日公演「ネフェス(呼気)」を見ることができた。
はたして「筆舌に尽くしがたい」とか「陶然とする」などという言葉が存在することをありがたいと感じるべきなのかどうか、しかしそれはまさしくそうとしか言いようのない「恐るべき時間(これも便利な言葉だ)」だった。ステージ中央の湧いては消える水とか、世界中から彼女を慕って集まった団員の肉体美とか身のこなしとか、そんな要素要素のことなど逐一言葉にするのももはや馬鹿馬鹿しい、官能と知性が高いレベルで入り乱れた見事な舞台だった。そこにあったのは、間違いなく身体を極限にまで使った「言葉」の存在に対する問いそのものであり、それはむしろ身体と言葉が激しく乖離したあげくにこれ以上はないほどに混迷を極め続ける今の世界の状況にこそ必要とされるものであったはずである。彼女は晩年にむかってむしろそういった自らの手法により深く強く確信を抱いていたのだろう。そういう充実感さえ同時に伝わってくるような、そんな舞台だった。
出展は定かではないが、早くも更新されているWikipediaの情報によれば、彼女はガンの告知を受けた5日後に死去したらしい。しかし僕は、おそらく彼女はその告知を、まるで客電が点灯したかのように感じたのではないか?と思う。すべては終わった。光と歓声と拍手の中で、彼女は花束を持ってそのままかすかな笑顔で静かに息を引き取ったのだと信じたい。謹んで哀悼の意を表す次第である。