誤解を恐れずに言ってしまえば、ある意味ではこれは「ありふれた光景」という言い方もできる。果たして僕たちは、今までいったいこういう光景をどれだけ見てきたことか?
僕たちは確かにある「空白」を共有している。それは不正選挙を画策したりそれを手伝ったり、それに激怒したりする人間、そしてそれを見て反応したりしなかったり、できなかったりする人間のそばに横たわるそれと全く同じものであって、決して違うものではない。
重要なのことは、狂気はメディアの中にあるのではなく、日常のすぐ隣にあるということを、より確かな形で確認し共有することなのだが、これは言うまでもなくもっとも難しいことだ。そこには明確に人間という生き物のいろんな意味での「壮絶なまでの豊かさ」が立ちはだかる。しかしそれは、おそらくそれゆえにもっとも人間的な行為とも言えるのだ。
※写真は「米流時評」から