実は個人的にはあまり「チベット死者の書」には 興味が無い。中沢新一氏がこのDVDのライナーノーツで「チベット仏教内ではあまり 重要視されていない」と書いているが、個人的に落下傘部隊気分でチベット仏教関連の 書籍をすり抜けながら少量をつまみ食いしてきた限りでも、あまり重要視されていなさそうな印象を 受けたので、特に不思議とも感じなかった。要するに、チベット仏教からすれば、ほとんどの 人がもっとも自分の存在の論拠とする「今を生きているという感触」そのものでさえも、 縁起のうえに仮設(けせつ)されたものでしかないということなのだろう。そしておそらく チベット仏教の最終目標は、それ自体も仮説(けせつ)された想念に過ぎない、いわゆる「生」とか「死」などというものに 基づくのではなく、「それ以外の何か」によって再定義することなのであって、 そこにあの壮大な体系の拠り所があるのではないかと、僕は勝手にそう思っている。もっとも、 その挙げ句に(観想程度にとどめられているにせよ)性行為にまで接近するのだから、 そのイノセントさと大胆不敵さにはある種の戦慄を感じるのだが。 少なくとも日本の開祖信仰的な傾向の強い一連の大乗仏教には無い方向性のように思える。
DVDは2枚組。1枚は本編のドキュメンタリーとドラマ。2枚目はダライ・ラマ14世の60分に及ぶ 単独インタビュー。制作は1993年で、それが2009年の今年になって発売された理由はよくわからない。 宮崎駿が「もののけ姫」の制作途中に何度も観ていたのなら、もっと早くに発売されても おかしくないような気もするのだが。
本編のドキュメンタリーがこのDVDのもっとも重要な部分で、チベットの死に関する儀式 の顛末を描きつつ、それと並行して、死を宣告されて最後に「死者の書」に拠り所を求める 西洋人を対比させることで、物質万能の現代社会を批判し、「死とそれを取り巻く心の科学」の 必要性を説く構成は、尺が短いので舌足らずの印象はあるものの明快でわかりやすく、 ここらへんはドキュメンタリーのNHKの面目躍如と言ったところか。圧巻は村人総出の 五体投地のシーンで、これはなかなか観られるものではない。日本以上にはるかに仏教文化が 染みこんでいるチベットならではの光景に、自らの文化と歴史のそばに横たわる巨大な 空白を観る思いがする。
苦言を呈したいのは、ドキュメンタリードラマの方だ。チベット仏教の僧侶に弟子入りした 少年の立場からチベット仏教とチベットの死を巡る儀式を見つめる内容は、別にこうしたアプローチが あってもいいと思うのだが、問題は表現方法で、中盤の肝心の死の世界の描写に、インド出身の カナダ在住アニメーション作家イシュ・パテル(Ishu Patel)が1978年に発表した「死後の世界(The Afterlife )」の部分を そのままカット&ペーストして使用していることだ。
ほとんどの人は、この見慣れない技法によるアニメーションの出自については 何もわからないだろう。しかし僕は、まだレーザーディスク全盛の時代にパイオニアLDCから発売された LD「パラダイス・変身 ~ カナディアン・アニメーション VOL.1」を購入して、収録されていた パテルの同作に衝撃を受けていたので、それがどういった作品なのか観て一発でわかり、 それと同時にものすごく不愉快になったのだ。
はたして世界のどこに、他人の(それも非常に高度に)完成された作品の一部分を、それが 最も正しいからと言って、そのままカット&ペーストして使用する映像作家がいるだろうか? それは映像作家を志す素人でさえも、本能的に避けるようなことではないのか?
もちろんこの番組の制作には、一貫してパテルの創作活動を支援している NFB(カナダ国立映画制作庁) も参加しているので、権利的な面はクリアされているのだろうし、パテル自身の許可も得ているのだろう (そう思いたいところだが)。それらも含めてこの作品の制作がどういった経緯をたどったのか、 僕の立場では知るよしもないが、ものすごく表現者としての道義に反するという印象を受けた。 こうした自らの立場を貶めるような真似をする必要は、まったく無かったように思う。企画自体は ユニークで存在意義があるように思えたので、なおのこと残念だ。
ちなみにライナーのスタッフリストには、パテルの名前は入っているが、作品名は入っていない。これではわざわざパテルがこの番組のためにこの部分のアニメーションを作ったと思われても仕方がないのではないか?結局のところ、正直言って、ほとんどこの点においてこのDVDは少々高いソフトという印象がある。
もっとも、ほとんどの人にはどうでもいいことなのかもしれないが。
(ちなみにパテルの「死後の世界(The Afterlife)」は、NFBのサイトにて全編(7分12秒)が公開されている。 宗教関係だけではなく、おそらくは一時期流行った臨死体験関連の書籍も踏まえた上で 制作されたのであろう、どの宗教にも属さない独自の映像世界は、ガラスの上に敷き詰めた油粘土を ヘラで削り、裏からライトをあてて一枚一枚撮影するといった、常人の理解を超えた制作技法と相まって、 文字通り戦慄のひと言だ。→ 「死後の世界(The Afterlife )」。また、現在ではDVDにて発売されている「NFB傑作選」でも同作を観ることが出来る。)