まず先日の記事の訂正から。 僕は「肝臓に水がたまっている」と聞き違えていたのだが、実際には肝臓ではなく腎臓だとのことで、 水がたまるのは「腎のう胞」という症状らしい。これ自体は特に問題はないらしいと言う点については同じ。
で、実際に結果を見てみたところでは、特に問題はないそうだ。 どうも仕掛けが大がかりなだけに、重大な病気でも発見されないと、せっかく払った お金の元が取れないような気がしてくるのが、貧乏くさくて泣けてくるのだが、 まぁ、問題はなかったのだからよしとしよう。
脳の中を走る血管には特に問題はないようだ。しかしこの血管の図像には既視感を覚える。暗闇に浮かぶのは、深海の海洋生物かあるいは汚物にまみれる寄生虫か、はたまた月夜に輝く樹木か、火球が夜空に残す煙の痕か。
さて、心はどこにあるのだろう?
それをどこまでも「ある」とするのも、どこまでも「ない」とするのも、畢竟考え方の差でしかないような気がする。 その両者の間の遙か奥深くにあるものが、おそらくは仏教で言うところの「中道」なのではないだろうか? 安易なオカルトも、またその逆の極端な科学崇拝も、どちらもごめん被りたいところである。