勤めている会社の仕事の研修旅行名目で韓国旅行に行った。
主に取引先との懇親目的だったので、観光としてはあまりあちこちに動けなかったのだが、それでも初めての外国体験だけあって、かなり濃密な時間を過ごすことができた。
ホテル周辺は町工場や小さな商店が軒を連ねるエリアだったので、早朝に起き出してあたりを散策してみた。そこには日本ではさすがに減った終戦直後のような光景が、まだまだ広がって存在していた。まるでつげ義春の私小説漫画に出てきそうな光景で、僕はことあるごとにあちこちで、構図などは顧みずにデジカメを操っていた。
道路の片隅には日本産の工業機械がうち捨てられていた。おそらく日本でお役ご免になった機械を船で持ち込んできて、修理しながら騙し騙し使い続けてきたのだろう。その機械はつい先日までは十分稼働していたような様子で、道路の片隅にひっそりと置かれていた。もしかしたらまた誰か別の人間がこれを見いだして修理して使うのかもしれないという感じも少しした。
世間ではなにやら「昭和ブーム」とかであるらしい。いずれも「あのころはみんなひたむきで純朴でよかった」というあの時代を生きた人間による一面的な感想に基づいているのだが、果たしてそうだったのだろうか?と、このところ常々思う。もちろん純朴でイノセントなやりとりもあったのだろう。しかしおそらくはモラルもものすごく低かっただろうし、裏切りや足の引っ張り合いに騙し合いも日常茶飯事だったはずで、当時を生きていた人間は、みんなほとんどが強くて深い闇が広がる断崖絶壁のそばで息を潜めて、かろうじて精神の均衡を保ちながら生きていたはずなのだ(犯罪統計などで見ても、日本の強姦発生率は昭和40年前までは、現在と比較にならないぐらいのレベルにまで達していたが、なぜかその後激減していった)。そういった点を描かない懐古趣味は、何も生み出さないのではないだろうか?と、日本にいるときもすでに考えていたのだが、どういうわけか目の前の下町の光景を見ていると、さらにその思いは確信へと変わっていくのだった。
「ここから抜け出すことのできる日はあるのだろうか?」
これはおそらく、今も昔もほとんどの人間が一回は口にする台詞だろう。 怒号や悲鳴、そして時折起きる殴り合い。その直後にはどうしようもない笑顔と嬌声。そしておだやかなやりとりとひそやかな吐息。光の帯の中で目と目だけで交わされる会話。
どこまで行っても、人間はたいして変わってないという気が、やはり強くするのだ。