6月13日に小惑星イトカワへの往復を成し遂げた日本の小惑星探査機「はやぶさ」が、採取したサンプルを乗せていると推測されるカプセルを放出した後、大気圏に突入してその使命を終えた。以下はアメリカのNASAが今回の帰還に際してわざわざ観測用の飛行機を飛ばして撮影した、大気圏突入の際の「はやぶさ」の燃え尽きる瞬間の映像だ。
これらに関しては、すでにあちこちで報道され、また語られていることなので、ここでは詳細は語らない。ここで語りたいのはそれに関する一つの写真のことだ。
河北新報社のこの記事によると、「はやぶさ」は大気圏に突入する直前に地球に向きを変え、地球の写真を撮影した。撮影された数枚のうちの大半は何も写っていなかったが、最後の1枚には乱れた映像ながらも地球の姿が映っていた。→写真
これを見て連想したのは、ボイジャー計画を率いていたカール・セーガンが、役目を終えて太陽系を離れつつあったボイジャーに撮らせた、最も遠い距離からの地球の写真、いわゆる「Pale Blue Dot」のことだ。以下の動画は、その画像とカール・セーガン自身による解説を再構成したものだ。
この距離から見ると地球というものはさして興味深い場所には見えない。 しかし私たちにとっては違う。 この点をよく見てほしい。 あれがここだ。あれが故郷だ。あれが私たちだ。 ここにすべてての人が住んでいる。 愛する人も、知人も、友達も、 今まで存在した全ての人が、みなここで人生を送っている。 喜びも悲しみも、自信たっぷりの幾多の宗教も政治思想も、経済主義も すべての狩人も、牧人も、英雄も卑怯者も、 文明の創設者も、破壊者も、すべての王様も、農民も、 愛し合う夫婦も、すべての父と母、希望に満ちた子供、 発明家、そして探検家、道徳を教える先生も、腐敗した政治家も、 スーパースターも、偉大な指導者も、すべての聖者も、罪人も、 人類の歴史上すべての人が、ここに住んでいる。 太陽の光に照らされた塵にもひとしいこの場所に。 地球は、とても小さな舞台だ。広漠とした宇宙の中では。 考えてみてほしい。すべての将軍や皇帝が、勝利と栄光の名のもとに 流した血の河を。この点の、そのまたごく一部の つかの間の支配者となるために。 考えてみてほしい。この点の片隅にいる住人が、 別の隅にいる、ほとんど見分けがつかない住人にたいして、 どれほど残虐な仕打ちをしてきたのかを。 どれほど多くの誤解があることか。 どれほど熱心に、人は殺し合うことか。 どれほどの激しい憎しみがあることか。 私たちの気どった態度、思い込みによる自惚れ。 自分たちは特別なんだという幻想。 この青白い点はそのことを教えてくれる。 私たちの惑星はこの漆黒の闇に囲まれた、 ひとかけらの孤独の泡にすぎない。 この広漠とした宇宙では私たちは名もない存在だ。 他に助けてくれる人はいない。私たち自身をのぞいては。 地球は、現在までに知られている、生命をはぐくむ唯一の星だ。 すくなくとも近い将来ほかに人類が移住できるような場所は存在しない。 行くことはできるか? たぶん住むことはできるか? いや、まだ 好き嫌いにかかわらず、いまのところ地球が私たちの住む場所だ。 天文学は、人を謙虚にし身のほどをわからせる学問だという。 人間の思い上がりを示すのに、これほどふさわしい例もないだろう。 私たちのちっぽけな世界を、はるか彼方からみた景色ほどには、 私にとって、この映像は私たちの責任を表しているように見える。 もっとお互いに気をくばり、この青白い点を大切にするという責任を。 私たちの知っている、ただひとつの故郷を。
たかだか日本の探査機ごときで、と言う向きもあるかも知れない。しかし今回の一連の出来事は、これと同様の感慨を抱かせるに充分な出来事だったように思う。心より関係者各位の労をねぎらいたい。